SOYsource(ソイソース)は宮城県仙台市を拠点に活動する建築設計事務所です。住宅、医療施設、オフィス、宿泊施設等 ジャンルを問わず遠隔地でも設計依頼をお引き受けしています。
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出雲 その2
 前回につづき、出雲です。

ちょっとひっぱりましたが、出雲大社といえば庁の舎


1963年完成。設計はもちろん菊ちゃん。いや、菊竹清訓先生です。

最近、菊竹先生の建物を見学する機会がなぜか多いので、もうなんか友達みたいな感じ。

巨大な梁にPCカーテンウォールを立てかけた形は出雲を通り越して縄文時代の竪穴住居を思い起こさせる。とにかく、力の入った建物です。


手すりや、ドアノブまで余すところなくデザインされています。それもモダニズムだとか超越したマニアっぷり。

以前、第一工房設計の建物で手すりが太いステンレスワイヤーだったのを思い出すと、こちらは今となっては常識的にも見えますが、なんといっても菊竹先生がやっているところに魅力を感じるディテール。



こんなのとか。ちょっと70年代の豪邸の玄関みたいなディテール。でも設計は1963年。こっちが先駆けでしょうかね。


この微妙なルーバーは実は樋も兼ねていて、水が綺麗に下に落ちるようになっている。

子供だったら登っていたかもって思うくらいな「はしご状」のルーバー。




妻面のPCウォール。50年経っても健在。

実は中も普通に入れますが、参拝、祈祷受付みたいになっていたので、写真は遠慮しました。

内部や建物の裏側は少し手を入れられていますが、いまも現役バリバリ。丹下健三の建物とは違う傍流としての存在感では、このあと台頭する磯崎新よりずっとマジメ。

いや、そもそも傍流なんて眼中になかったからこそ、このクオリティーなんでしょうね。

Y
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出雲
 所用があり、鳥取、島根を訪れました。
時間があったので、出雲大社へ足を伸ばしたんですが、あいにくの大雨。


休日だったこともあり、たくさんの人人人

雨で、しかも本殿は遷宮のために拝観できないのにすごい人。午後には駐車場もいっぱいになり、道は車であふれるほどです。

10月(旧暦)は神無月と言われますが、ここ出雲だけは神在月。八百万の神様が全国から集まってきます。さしずめ、神様も大渋滞でしょう。



本殿はご覧のとおり。大きな鞘堂に覆われています。

出雲大社といえば、東大寺の大仏殿、平安京の大極殿と並び称される巨大建築として古代の本にも書かれ、その復元案は一大妄想建築群とも言うべき歴史ロマンの結実として有名ですね。


心柱の遺跡が発掘され、直径3mを超えているとか、階段が1町続いたという文献が残るとか、60年の間に10回倒壊したとか。

神様をむかえるのも楽じゃないですね。


本殿は修理中ですが、その他にも見所満載の出雲大社です。隣接する県立考古学博物館も先ほどの古代出雲大社復元模型レースが展開されていて必見(展示にひと工夫欲しかったけど)。

それともう一つ、建築やっているひとも、そうでない人も、出雲大社に行ったらあれみないとダメです。そう、あれです(次回、ご紹介します)。

Y
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羽田空港
 先日、所用で羽田空港の全日空側ターミナルを使いました。いつもJAL側だったので、久しぶり。

と思ったらなんだかターミナルが大きくなっていて、レストランゾーンが拡張されていました。


拡張されたところは大部分がおしゃれなフードコート。

食事をする場所には様々な有名所の椅子、テーブル。



にぎわい演出としては手間がかからなくて、成功してるようです。


おじいさんがパントンチェアに座っている姿は可愛らしい景色でした。

Y
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復活の狼煙
 大震災で被災された店舗兼事務所の移転新築工事の地鎮祭です。
SOY sourceで設計をさせていただいております。


施主である被災された会社の社長は、

「周りの方の思いもよらないたくさんの支援、励ましを頂いた。恩返しをする意味でも、なんとしても復興して、元気に復活した姿を見せたい。」

とおっしゃっておりました。
我々設計サイドも、いつにもまして気合とスピードを求められ、その気持ちに答えられるようにという思いです。


商売柄お付き合いの多い社長の人柄を写して、たくさんの方が出席された地鎮祭でした。

緊褌一番、現場監理も頑張る決意です。

Y


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山古志村
 報告が遅れましたが、先月25日に震災復興計画をお手伝いしているJIA(日本建築家協会)のメンバー、被災した自治体の担当職員とともに、新潟県の旧山古志村(現長岡市)を見学しに行って来ました。

超軟弱地盤の丘陵地である山古志村は新潟県中越地震で壊滅的な被害を受け、全村避難を決定。その後3年以上の年月をかけて、帰村、見事に復興を果たしたことで知られます。


当時、新潟県から派遣された復興管理官の渡辺斉氏の案内で、14ある部落のうち代表的な幾つかの場所を見学させて頂きました。

村には今だに地震の傷跡が残り、多くの村民が以前に住んでいた土地を離れ、安全な高台へ移転しています。土砂ダムに埋まった家、崩れた崖の下に放棄された旧県道。それでもなお住み慣れた土地の再興に明るく邁進する人々にたくさん出会うことが出来ました。

林業、農業に加えて錦鯉の養殖でも知られるこのエリアは7年の歳月と多くの努力によって見事に復興していました。


写真は災害復興住宅のモデルハウスです。



地場産の木材を使い、工事請負を地元大工グループとすることでコスト削減と、投資金額の地元での回収に寄与しています。

一説には都心のハウスメーカーに請け負わせる住宅は、たとえ労働力を地域でまかなっても、かかったお金の3割しか地元に落ちないと言われます。

逆に積極的な地場産材の使用と請け負いシステムの構築は、8割のお金が地元に落ちます。また、高度なシステムを使うことなく建てられた住宅は、地域の大工、職人によるメンテナンが可能で、長期的な地元職人の雇用を生むことにも貢献します。




地場産品を扱う小規模な直販所。


震災前から規模を倍増した地域のシンボル、闘牛場。

当日はあいにくの天気でしたが、復興に尽力された自治体職員、復興を成し遂げ、さらに新しいビジネスに挑戦する方など多くの人と合うことができ、大変勉強になりました。

また、東日本大震災を重ねあわせ、復興には多くの強い意思が必要なのだと実感しました。


今回参加したメンバーと案内いただいた地元の方々


Y


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冬近し
雑誌社の撮影でひさしぶりに八幡平の山荘に行ってきました。
さすがに八幡平はもう冬寸前です。

待っているとちょうど市から委託された道路管理者の方がポールを刺していきました。このあたりは1mくらい積もる上に、道路際は除雪されるのでもっと高く雪が積み上がってしまいます。これがないと道路の端っこが分かりません。

紅葉もほぼおしまい。

現地に向かうときは雲の中だった岩手山も帰りには姿をあらわしてくれましたが…
頭はまっしろです。
冬がすぐそこまで来ていますね。


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恒久木造住宅
 石巻市北上町では多くの方が津波で被災し、仮設住宅に住んでいます。
そんななか、災害直後から仮設ではなく恒久住宅をと提唱されていた工学院大学の後藤教授を中心とするグループの「恒久木造住宅」計画が進行しています。



擁壁は石垣(稲井石でしょうか)積み。

ちょっとスケールアウトですが、コンクリート擁壁より地域にマッチしていますね。


屋根はスレート。敷地の向かいは雄勝地方ですから入手は簡単と思ったら、スペイン産・・・

ちょっと残念。




何よりも素晴らしいのがこの景色。北上地区でも1,2を争う景観です。夕日は北上川の上流に沈んでいくので、三陸ではめづらしい日没も綺麗に見えます。

個人的には仮設に時間をかけるより恒久住宅をという思想には賛同します。実際の移転計画は、被災者、自治体、土木コンサルなど多くの人がかかわるので、単純には行きませんが、お手伝いしている移転計画でも意見集約のスピードを急ぐ必要を痛感します。

Y
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茅の外壁
 震災復興のお手伝いで石巻市北上町をたびたび訪れています。
7月のブログでもご紹介した茅葺きやスレート葺きを専門に扱う工務店「熊谷産業」を再び訪問。

前回はパオを仮設宿泊施設にして驚きましたが、今回は



津波で流された作業場をいち早く再建した熊谷産業が外壁に選んだのはなんと茅。

厚みは25CM程度でしょうか。窓枠は銅板で作っていました。



オランダの伝統構法ですが、日本では見たことありませんでした。わざわざ、職人を現地から呼んだそうです。

法律上の制約があって一般的な場所では建設できませんが、石巻市の半島部では規制を撤廃しているため、実現できた建物。



素晴らしい。

Y
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狐穴避難小屋
すっかり秋に突入してしまったの山の上。まもなく色とりどりの風景がわたしたちの目を楽しませてくれるはずです。そんな山の上で頼りになる避難小屋のお話。

日本でも有数の豪雪地帯である朝日連峰。山形県と新潟県にまたがる大きな山塊の稜線上に狐穴避難小屋はあります。厳冬期には4mを超える雪に包まれる上、日本海から吹き付ける風と絶妙な地形のため、高さ10mを超える吹きだまりの壁ができあがってしまい、ホワイトアウトしてしまった場合には発見すら困難になってしまうようなとんでもない場所にあります。

そんな山小屋では玄関扉は1・2階の両方にあります。扉はもちろん内開き。雪が積もっちゃったら外開きでは開かなくなっちゃいますから。ちゃんと下端にはスカート状のものがあって凍り付きにくいようになっています。(もちろんそれでも凍っちゃいますが…)

中はこんな感じ。とても清潔に整えられている小屋です。
トイレも水洗できれいに管理されていて、女性でも安心。


交通 :日暮沢登山口より徒歩6時間
   :大鳥登山口より徒歩9時間
宿泊費:管理協力金¥1,500(2011年現在)
食事 :持参
寝具 :持参
定員 :50人
水場 :小屋前に引き水
ビール:¥800(350ml缶)

気になる方はぜひ遊びに行ってみてください。

O
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飯箸邸
 今から5年ほど前、建築家坂倉準三が設計した「旧飯箸邸」の実測と移築保存をお手伝いしたことがありました。
数年前に移築も完了し忘れかけていたところ、この度、活動報告書が完成したとのこで、旧飯箸邸記録と保存の会から報告書をいただきました。

内容は飯箸邸の歴史、設計、建設にたずさわった人のはなし、実測、移築の記録です。


表紙は実測の図面をひいた坂倉建築研究所OB 金澤良春さんの実測立面図です。


竣工時の平面図。


建物は東京都世田谷区の等々力渓谷の斜面に建っていました。

財界の大物が戦前に注文、坂倉準三、西澤文隆をはじめとする最初期の坂倉事務所メンバーが設計した記念碑的な建物です。

その後、建物は坂倉の東京大学時代の友人今泉氏のものとなり、以降、建物は大きな改築を加えられることなく現在に至っていました。



様々な要因で解体が決定されたあとも世田谷区の住民やJIAを中心とする保存運動がおきて、最終的には軽井沢に移築保存し、レストラン Domaine De MIKUNIとして生まれ変わりました。



報告書には野帳と呼ばれる実測メモや


部分保存した貴重な建築部材も掲載されています。


トイレや配管まで記録。
(非常に貴重なトイレで、前川圀男邸移築の時にはオリジナルを再現したらしい。)

大変読み応えがあって、興味深い資料です。

まとめ方次第では市販してもおもしろいと思います。
この計画に関わった多くの方の努力に頭がさがる思いです。


ちなみに私が協力したのは茶室の建具の実測、軒裏垂木の実測なんかです。
当日は寒くて鼻水が止まらなかったのを覚えています。

Y
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